諺、奥深し。

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ちょっと前に行ったグループ内の交換リーディングで、
読んでるとき・読まれているときの自分の中の様子をじっと注意深くみていたわけなのですが、
自分の前に現れる方は、
やっぱり自分の鏡だなぁと思ったときのことをひとつ。


心を開かない感じ、
何かを言われたらイヤだなぁと身構える感じ、
そのために必要のない質問をする感じ、その質問の答えで相手の力量を推し量ろうとする感じ。
自分にとって気持ちの良い答えしか求めない感じ。。

その人に向き合ったとき、
「ああ、このひとは私だ。」
と思いました。

誤解をおそれずに言えば、
「私はあんたらとはちがう」と思ってる事が同じって言うんでしょうかね。
普通にお客様と向き合っているときには出てこない、隠れた自分の中身を垣間見た気がしました。


自分の方が正しいとか優れていたいというはっきりと形になる前のもやもやした気持ちは、人間が成長するために必要な原動力のひとつなのではと思っていたこともありましたが、それは『気づき』に使えば良いものであって、
むしろそのために取り繕ったり何かをするってのは、使い方としては違うんだな、と。
頭で解ってはいたつもりだったんですけど、どうもまだ自分のどこかに残っていたみたいです。

そのひとの在り方に対して湧き上がってくる批判したい気持ちとか、比較してたい良い者なはずの自分に対して、
もっと己は消化してフラットになれているはずだと思っていたのに、
ブクブクとどこかから湧いてくるこの臭い誘い水を飲みたくなっちゃう私をひさしぶりに発見してみたのでした。


『自分には今目の前にいる方に対して感じているのと同じ所があるのだ。』
受け入れて認めてしまうことができれば、世界はうんと優しくうんと広がるものなんだと解っているのに、
40年近くやってきた生き方というのは、なかなかスポッと抜けらんないものがあるのねとかなり情けない気持ちにもなりましたが、
自分がいま違うんだなと気がついたのであれば、さっさと改めれば良いだけの話。

出来ていなかった自分は凄くカッコ悪く思うし相当恥ずかしいし、
心から反省するけど、
きちんと認められるなら一瞬でことは済むからまぁいいやと。

今回は無事、
このまま気がつかずに生きてるよりはずっとずっとマシだもの、と自分の中身を更新する準備を整えることができました。


私はあの人よりもすぐれている、
優れていたいという感覚を追求すること、これって本当に甘美だし麻薬みたいなもんで。
それに注力しすぎると結局何にも残らないっていうか、むしろマイナスになると思うんですよね。
ひとをけなしては自分が傷つき、
それがうまくいかなければ認めてあげられない自分を凄く傷つくし、どっちに転んでもいいことなんかないだろーとは思うんですけどね。

この、人間て結局元々は同じなんだけど、違う人として現れている個人という現象のとらえ方って、使い方としてはとてもシンプルなんじゃないかと思う訳でして。
 
私達が無意識にねがう、
誰かの為に生きて行きたいという気持ちを表現するためには、まず自分は相手とは違うと知らないとってのが最初のステップなわけです。

それがきちんと出来ているのか、 
自分の中で自分と他人が分けられているのかを知らないと、自分の望んでるものと相手の望んでるものがズレてくんだろなと思うわけでして。

それできっと、
こんな諺があるんだろうなと思ってみたりして。

『人の振り見て我が振り直せ。』

よく言ったもんで、
その部分と同じエネルギーを持つ人をきちんと引き寄せては、
ほら、目の前の現実をよく見てごらん、お前の中身はこうなってんだよと。
これをお前は是とするの?、非とするの?と、内側から問われている感覚として受け止められるかどうかとか。

また、他の人はこうらしいけど、自分の感じ方は違うんだなと知ることができたりとかね。

この自分としての感覚をきちんと掴んでいないと、
誰かのために何かがしたいとか、
人間がもつ普遍的なテーマにたどり着くことが難しいってゆーか、
自分を犠牲にして良かれと思った事をして、他人を優先させることがそうなんじゃないかと思ってしまったり。

自分に向いてないことを提供してみたりと、ズレた所で他人様のお役に立とうと無駄な努力をしてしまうんでないかと思うわけなのです。


自分のこだわりが強い部分、守りたい、死守したいと思う小さなプライドこそ、実際は他のひとから受け継いだ価値観だったり、
今はいらないものであることの方が多いつーか。
しかも自分に確信があるところでもないから、おそらく他人に一番つつかれて弱いところである事は間違いないだろうし。

あー、
なんかよくわかんなくなってきちゃったけど、まぁいいか。

すべてをあるがままに受け入れて尚且つ、
自分にも他人にも優しい生き方をさらに実践出来るようになりたいなぁと思いました。


そうそう、
『人を呪わば穴2つ。』なんてことわざも浮かんできて。

例えば自分と他人を分けていない潜在意識の方から見ても、
口に出した批判を誰が一番受けているかって言ったら「自分」なわけですから。

改めて諺の意味を考えて、
昔のひとはすげぇな!と感心しながら帰ってくるしかないわけですよ。


この世界の仕組みとして、
自分を知るために誰かと比較する事は必要なことなんだけど、
それは目的じゃなくてあくまでもひとつのスキル。

比較というスキルはそれ自体が目的へとすり替わると、
ありもしない自分や完璧を求めたり、本来の自分への信頼を阻害していく重要な一つの要因の一つにもなっちゃったりするようです。

比較がメインになっちゃうと途端に視野が狭くなって、自分の全体すら見えなくなるというか、
自分の可能性を自分で狭めているということと=になるんだと思います。

そんなこんなで、
誘い水の井戸、完全埋立工事ができるようになるまでにはもう少し掛かりそうですが、
私は何よりも誰よりも、
自分のことをもっともっと知りたいし気持ち良く生きていきたいと思うので、
己のイヤだなぁと思う所も避けずに、恥ずかしがらずに見つめていたいもんだとそう思った次第なのです。。

お互いの良いところを活かし合える、高い視点と行動力を持つ人になると改めて意図します。

何を表現するかによって自分の人生が変わるのであれば、
「祝福の水路になりなさい。」
とゆーエドガー・ケイシーのことばのように生きていきたいと思うのです。

なんて書いてたら、
2・3日前に友人も似たようなことをブログに書いていたなと思い出した次第です。
いつものことですがタイミングがほぼ同じで、結構なお話ですこと。
今度一緒にお酒飲みながら己の小ささについて語り明かそうぜ。

これからは、
自分オリジナルの部分を見極めたり磨く方がよほど勇気がいるし、重要になってくるんだろうなぁ。。



時に、
大きめの赤ちゃんを出産する夢をみました。お腹がからっぽになるようなリアルな夢でしたよ。

私は今まで学んだことを生かして、
一体どんなことをこの世の中に生み出していくのか、凄く大切なタイミングにあることを何となく受け止めてみました。

少し注意深く自分や情報に注意していきたいと思います。


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by satoko4000 | 2018-04-23 13:55 | あちら系 | Comments(0)

タクシードライバーでスピリチュアルカウンセラーでフリーアナウンサーを目指す四十路のとわずがたり。


by satoko4000