『本物か、偽物か。』

昨日のエイプリルフール、
会社の大好きなお姉さんから、
「横浜のスタバのイケメンお兄さんと、人生1からやり直します。」
っていう、本気なんだかお茶目なんだか、どうにも処理に困るラインを受け取ってみました。

皆さんはどんな嘘をつきましたか?


先日、その道で一流の方に、
『表現って結局どういうことなんでしょう?』と、
お尋ねしたら、
とても簡単だよという風に、
「本物か偽物か、それだけだよ。」
と、微笑まれてしまいました。

抽象度高いから、もう。

それって例えば、一流の方が磨き上げられた導管として、その世界に役を完璧にこの世に出してくるのも『本物』だし、
私みたいな始めたばかりの人間が『これしかありません!』って、なけなしの何かをさらけ出すのも本物。

まだ何もしていなくても、そうなってるビジョンをありありと描ける方が出す波動も、現実化しやすいって意味からすれば『本物』。

その人その人の表現によって、『本物』という言葉が表す物や程度が違ってくると思うんです。

だがしかし、
めっっっ…っちゃ苦手。
さらけ出す系ほんっっっ…っとに苦手。。

こないだワークに一緒に行った友人には昨日、
「ずっと一緒にいるけど、おめさんが焦ってるとことかみたことないから新鮮だった。見た目は落ち着いてて、中身が焦ってるのがわかるくらいだったけど。」
と言われました。

振り返ってみれば、
感情的になっちゃいけないと思い続けて生きてきた40年な訳ですよ。

小さい頃から姉として育ち、
器用貧乏なうえに、正解不正解どっちに転んでも「母子家庭なのに」って枕言葉がつくもんか、
それを聞いた母親が喜んでくれるような『外側からの評価』を求めて生きてきたんですよ。

如才なくやって、
いつでも普通でいたいんですよ、
通年通常モードに見せていたいって言うのかなぁ。

自分の思ってる自分と、外側から認知されてる自分。
その乖離が何とも気持ち悪くて、色んなことを学んで実践してきた訳のですが、
「何となくこの脳天気な状態でデフォルトなんだなぁ。」と納得する反面、表現ということをしていくためにはもうヒト壁あると気がつきました。

コンクリの分厚い壁に守られている原子炉格納容器っていうんでしょうか。
あれを外にさらけ出す作業が必要になるらしいのです、
44年ぶりにご開帳、秘仏ですかと。

朗読劇やMCもそう、
リーディングやこれからしていきたいビジネスさえも。

分厚いコンクリ壁の向こうにある、原子炉格納容器の中の、そのまた原子炉の中の、反応まっさかりの燃料棒みたいな。
物凄い熱量と、失敗すればメルトダウンでしょう、周辺に大変な影響を及ぼすのは周知の事実。

危険な放射線を持った、自分の中にある『本物』を表に出していかなければいかんのだな、という段階に立たされてきています。

このキワキワ加減を場所で表すと福井の東尋坊、崖の上っていいますか。飛んじゃえば楽だろうなでも怖くて仕方ないってゆー、お尻がひやっとするような何とも言えない心地なのです。

ああ~、苦手。
自分の生の感情を外に出すことが苦手、本当に苦手。

書きながら遡ったことは、
「私の感情や中身のことなど、誰も受け入れてはくれないのだ。」
「私が感情を表したって、誰も助けてはくれないのだ。」
という、赤ちゃんの頃の自分が出てきました。

年子で弟が生まれたもんだから、母からすればてんやわんやだったことでしょう。

アカシック読めるってこんなときいいよな、気がついたら手放していけば良いってだけの話なんで、あとは時間の問題です。


私も、
今まで無意識で選択していた『本物か偽物か』という自分の中の選択基準を改めて磨くとともに、
『本物』って思って貰えるような生き方を、改めて選択していきたいと思いました。


明日は、そんな徒然を考えるきっかけになった、
チームナックスのライブビューイングについて語りたいと思います。



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by satoko4000 | 2018-04-02 11:40 | 日常 | Comments(0)

タクシードライバーでスピリチュアルカウンセラーでフリーアナウンサーを目指す四十路のとわずがたり。


by satoko4000