エロイムエッサイム エロイムエッサイム 我は理想のお父さんを求め訴えたり!

昨日は夜中まで新潟にいました。

名目は先週末、東京で勉強してきたことのシェアでしたが、
本題はそこそこにしてデッキー401に🔯を描き、仕事上がりのタツゴロウさんを召還。
無理やり映画に付き合ってもらってきました。

だって新潟でしかやってないんだもの。いつまでやってるか謎だったんだもの。しかもどうしても観たかったんだもの、『blank13』。

去年の大河ドラマで小野政次を演じ、抑えて捧げる演技が日本中のおなごを歯ぎしりさせたという、あの高橋一生主演なんですよ!?
なのになぜ、
この時期に年下女優とのお泊まりデートを報じられてしまうのか高橋一生。
いんだけど、別にいんだけど!

監督はなんと斎藤工。
セクシー俳優として絶頂期に、『笑ってはいけない~』で本気でやっていた、サンシャイン池崎の物真似は凄いインパクトだったなぁって。

浮気 不倫 W不倫 すべてのセクシーの産みの親!!」
って台詞、私まだ指折り数えて言えますもん。

この2人が特集されていたan・anの記事に、気になる一文が載っていて。

「斎藤さんは、自分の演技を全て受け入れて、なおかつリスペクトしてくれた。自分のやり方でどこまで出来るのか挑戦させてくれた。」
というようなことを言っておられたのです。

ちょっとやだ、なにこのデキる男同士の熱い友情、これは絶対観ないと!と、思うわけじゃないですか。

とあるディレクターが体験したという実際の家族の話を、あの斎藤工がどんな風に見せてくれるのか、知りたいと思うに決まってるじゃないですか。

物語は、
息子二人と奥さんと借金を残して13年前に家出をした父親が、どうやら末期の胃ガンでとある病院に入院中であると、家族が知るところから始まります。

タイトルが出るまで淡々と、
とても壮絶でよくある不幸な家族の風景を追っていくのですが、それがまた実に単々と何故か喜劇的で。
淡々と単々、そういや坦々なんてのもあったよな、てかそんな名前のパンダいなかったっけとか。

必死で目の前の現実に一生懸命取り組んでるひとをみると、なぜか面白く見えてしまうことあるじゃないですか。この映画の冒頭がそう、笑っちゃいけないのにおかしいんです。

妻の立場、子供の立場、斎藤工演じるお兄ちゃんの立場、色んな思いが解りすぎて。
観ている私の胸の中はまるで爆弾低気圧のように暴風が吹き荒れているというのに、何故か吹き出してしまうほどおかしいんです。

うまく説明できないけど、
なんとも言えないペーソスっていうんでしょうか。
人間としての真摯な体験っていうのは、少し離れたところからみるてーと、この手のおかしみは必ずあるのかも知れないなぁなんて。

それこそ、魂目線というかね。
客観的に俯瞰してみれば、死ぬほどの辛いことも、必ずいつか過ぎ去る楽しいこと。。

私のお父さんも…。 
借金こそはしませんでしたが、お家にお金入れなかったよなぁ、こんな風だったよなぁ、なんて。 

「優しいひとだったわよ。」
亡くなった久子は、こちらに戻ってきてから、父の話になるたび私にそう言って聴かせましたが、もちろんそうじゃないエピソードの方がいっぱいだったからセパレートすることになっちゃうわけで。
優しいの基準も、父に輪をかけてダメ男だった祖父との当者比でしかないからアテになんないでしょうしね…って、子供の頃からずっと思ってましたけどね。
母にはとうとう言えませんでした。

そういや私なんて父方の祖母のお葬式、何十年ぶりかで父に会っても、向こうは全く誰だか気がつかなかったというさらに笑えるエピソードの持ち主ですよ。

こっちからすれば、高橋一生のように許したくても許せない、愛されたくても愛されない、自分にとってどんなひとだったかすら決められない苦しさ故に何十年も引きずっていた相手だというのに。
私の方はハゲて白髪になった父でも一発で解ったけれど、まったくもって失礼な話じゃあーりませんか(笑)。
何が「お前は父さんの宝物だよ」と。
あんた本当に嘘ばっかりの人生だな!、と子供のころに膝の上で聞いた台詞までむなしく思い出してはみたけれど、あのとき、『向こうは覚えていなくても、私は好きだからいいんだ。』と少しだけ腑に落ちた感覚は覚えています。

占星術やアカシックレコードを知るまで、「どんな家庭環境か、またどんな両親を選ぶかもやんわり自分で決めてくるものだ。」という感覚を知らなかったので、理想の父親と、そうじゃない現実の父親との関係性に毎日とても苦しんで来たなぁと、今でも思い出しただけで熱燗一本いけるくらいのネタがあります。
(ちなみに、こんな破天荒な母親ですが、娘は私の事を大好きでいてくれる配置で生まれてきてくれました。)

東京でつうりさんから聴きましたが「親は集合意識の代表」でもあるとか。

子供にとっては親というものは、
そうだなぁ。
一番身近なところで自分を投影し自分を知るためのひとりの人間であったり。
養育されるために是が非でも愛されなければならなかったひとで。
自らの生き残りをかけて、ほぼすべての基準にしてしまうひとっていうのかなぁ。。

でもだからって、親だからいい人でなきゃならんということではなくて。
どんな生き方だったとしても、親の姿を子供はきちんとみていて、子供はこどもなりに小さな頭でたくさんのことを受け取っているんだよ、と言いたいわけですよ。

父親という役割の世間一般的なところからかけ離れた最低な親父だったけど、憎みたくても憎み切れない。
悪い人じゃないと思いたいのは半分が父親から出来ている自分を肯定したいがためなのか、それとも優しい父親である面も覚えているからなのか。

どうしようもない感情と現実に高橋一生も苦しみ、子供の頃賞を穫った作文を読んでもらえなかったことをずっと心の傷にしている彼は、
目の前でやせ衰えていく父親と、父親によって家族が味あわされてきた現実と、優しい父親との記憶のギャップの間で揺れ動き続け、結論を出す間もなくあっけない永遠の別れを迎えます。

そもそも優しいってなんなのかとか、父親ってなんなのかとか、
そんな最低な父親から認めてもらいたかった、愛されたかったと思っている俺って一体なんなのかと…。

映画はお葬式の佳境から大変な方向へ流れて行ってしまうんですけど。

出て行ってしまった父、母や兄との間でみんなの為を思って感情を表に出せなくなり抑え切った高橋一生の瞳をみていると、その中に渦巻く強い感情の全てが感じ取れてしまうようで。

「感じるな」の禁止令を持っている自分と重なって苦しくて仕方なかった上映中でしたが、
主人公がいろんな父親の側面をひとりの個人として受け入れていくといいますか、自分の知らなかった父親を知り、ある意味あきらめ、自分のセルフイメージと分けていく過程を一緒に味わうことで、私も自分の父と自分との関係に、またひとつ新しい視点を持つことができたなぁと思いました。

何かの本で読んだのですが、
「人間は幸せの形というのはだいたいひとつしかない。金があって家族が仲が良くて…。だが不幸の数というのはそれこそ星の数ほどある。」
という言葉。

何故ここ地球が「ソロス(悲しみ・孤独)」と知りながら生まれてみたいと願うのか、という問の答えのような気がして。
変な言い方かもしれませんが、不幸こそが、他の人が選んだことのない自分オリジナルの体験だからなんかも知れないですよね。

「どうしていつかは亡くなってしまう肉体を持つこと」を選んだのか。
出会いがあれば終わるということ。
大切なひとを喪うということは一体どんな体験なのかを知るためなんでしょうな。

だけんど、
死んだら全てが終わりなのかったら絶対そうじゃなくて。
遺された人はいつまでも、そのひととの関係性や思い出から自分に勇気を与えたり問い続けたりしますしね。。

結局人間は、どんな状態になったとしても。
毎日の中で小さな事に一喜一憂して、大切な人と出会って小さな希望を見いだし、幸せを噛み締めて歩いていくものなんだなぁと。

星野源の「くだらないの中に」という歌の詞を思い出して、その深さに感嘆してみたりしたわけです。

「俺は家庭環境的におめさんほどシビアでなかったから、そこまで深く感じとれなかった自分が浅い気がして申し訳ない気もするし、解ってあげたいとすごく思うし…。」
映画が終わったあとシュンとしてたタツゴロウさんですが、
映画はそれぞれの感性で楽しむもんだと思うからそこまで合わせて深読みしなくていいと思うし。

笑いが止まらなくてヤバそうにしてたタツゴロウさんと笑うツボが同じで良かったなぁとか、無理やり誘ったけど、それなりに楽しんでくれて良かったなぁと思ってるくらいで感謝しかないですよ、と業務連絡を入れた所でやめときます。

そうそう!
佐藤二郎が最高に良い味出してますから。もうそれだけでも絶対観てほしい(笑)。
あの普通さ加減とユニークな話し方、めちゃめちゃ好き!。

うまくまとまらないまま、
感想を書いてしまいましたがもうお昼もすぎたのでこのへんで。

この映画、
今見逃してもまた5月にも新潟にくる予定、お父さんお母さんに恵まれなかったひとは、
oh人事oh人事に電話をかけるよりも、『blank13』をぜひ観てみてくんなせ。

きっと、うんと笑ったあとにちょっとすっきりしている自分がいるはずです。


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by satoko4000 | 2018-02-28 14:40 | 日常 | Comments(0)

タクシードライバーでスピリチュアルカウンセラーでフリーアナウンサーを目指す四十路のとわずがたり。


by satoko4000